震災から13年、福島視察

視察

自民党神奈川県議団で、福島視察を行いました

東日本大震災・原子力災害伝承館

東日本大震災による原子力発電所事故直後の対応や長期化する原子力災害の影響について写真や映像、説明をいただき改めて学びました。
原子力災害を受けてしまったが、それまでは日本の振興を支え、双葉町の人口増加、雇用創出に繋がったことも事実であることも伝えられていました。逆境を乗り越え、復興に挑戦する姿として、廃炉作業の進捗、福島イノベーション・コースト構想などの取り組みの紹介もあり、重く受け止めました。

浪江町「請戸小学校」

震災遺構として、震災当時のままの姿で保存しています。
この学校の児童、教職員は、1.5kmほど離れている大平山まで向かい、全員が助かったとのことです。
大平山ふもとに到着したのが15時15分、学校の止まった時計は15時38分であり、的確な判断と速やかな行動によって間一髪助かった、とのことです。
迂回になっている山を登る道を進もうとするところ、一人の児童が「先生!こっちだよ!この道から山に入れるよ!野球の練習で来たことがあるんだ!」そう叫び、みんなを助けた、というエピソードも伺いました。

出口に「あなたのまちの大平山はどこですか?」という言葉があり、改めてあらゆる想定のもと防災減災に向き合わなければならないと痛感させられました。

防災備蓄倉庫「相馬兵糧蔵」

3万本の飲料水や7千近くの毛布、お米や組み立てトイレなどが備蓄されており、他の自治体への物資支援も行われています。
大震災の教訓をもとに施設の整備、備蓄がされているとともに、受援体制の整備も行われているとのこと。
神奈川県、横浜市でも他人事ではなく、有事に備えた体制は、自分事として捉えて、見直さなければなりません。
また、防災研修の場としても使われているとともに、簡易ベットやシャワー室も設けられており、研修室は災害時、20人の宿泊が可能になっています。敷地内には、東日本大震災で殉職された10人の消防団員の消防精神をたたえる顕彰碑が建てられています。

相馬市伝承鎮魂記念館

東日本大震災によって失われた相馬市の原風景を後世に残し、遺族の心のよりどころとするとともに、震災前の相馬市を知らない方々にも、この事実を知ってもらうため、原釜地区に設置された施設です。
敷地内には慰霊碑も建立されており、地区の犠牲者の芳名と被災状況を記した碑文が刻まれています。

今日は、震災語り部としてご活躍されている五十嵐ひで子さんからお話をいただきました。

五十嵐さんは、原釜尾浜海水浴場のそばで民宿を営んでおり、2011年3月11日14時46分の地震時にはすぐに逃げなくてはというより、食器も食材もダメになってしまってお客様が来るのにどうしようと気がかりになり、逃げ遅れてしまった。
夫と叔父と外に出た時には、道路にはすでに水が来ており、まもなく津波がやってきて、五十嵐さんは木に捕まって意識を失い、夫、叔父の手が離れ波にのまれてしまった。

「なんで『逃げっぺ』の一言が出なかったのか。それがただただ悔しい」

辛い過去を後世のために、未来のために、言葉にしていただいていることに感謝とともに、誰にとっても自分事として受け止めなければならない、お話でした。

東京電力福島第一原子力発電所

福島第一原発の状況と廃炉の取り組みについて視察しました。
事故の経緯や現在の取り組み、今後の見通しなどについて、また実際に1号機と2号機の近くまで、入らせていただき、説明をいただきました。
この事実を受け止めるとともに、未来に向けてどのように向き合っていくのか。
安全対策の情報発信、水産業への風評被害もあることからも、福島への理解、支援の充実に取り組むことが重要です。

 

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